めありずむ

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挫折や失敗と健全に向き合う思考法 - レジリエンスの本質

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不妊治療を続けるのが辛いとき、何かもっとポジティブにいられる思考法がないものかと、ずっと考えていたことがありました。今も、事実としての結果に落ち込むことはあるけれども、ある考え方に辿り着いて、少し気楽に構えられるようになったと思います。

これが必ずしも正解とは思わないけれど、もしかしたら、誰かの助けになれるかもしれない。そんな思いで書いてみる事にしました。これは、不妊治療だけじゃなくて、仕事にも、その他の人生全般にも言えることなんじゃないかなと思っています。

「レジリエンス」の本質って何?

少し前から「精神的な回復力」「折れない心」や「打たれ強さ」として「レジリエンス」という言葉が浸透してきました。心理学的には、ペンシルベニア大学ポジティブ心理学センターのカレン・ライビッチ博士によって「逆境から素早く立ち直り、成長する能力」と定義されているようです。

人生には挫折や失敗がつきもの。でも、私たちはそれを乗り越えてまた歩き出さなくては生きていません。この概念は人間にとって結構重要な要素だとは思っています。ただ、いくつかの本を読んでみても、レジリエンスには楽観性や自己肯定感、思考の柔軟性のような要素が必要、過去の経験から自分の強みを見つけ出すトレーニングがあるといったことしか入ってこず、わかるんだけどなんか核心じゃない気がするという印象がありました。

とはいえ、レジリエンスのベースを知りたい方には以下の書籍がおすすめなので貼っておきます。

マンガでやさしくわかるレジリエンス

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  • 作者: 久世浩司,松尾陽子,朝戸ころも
  • 出版社/メーカー: 日本能率協会マネジメントセンター
  • 発売日: 2015/10/24
  • メディア: 単行本
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OPTION B(オプションB) 逆境、レジリエンス、そして喜び

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なぜ、一流の人はハードワークでも心が疲れないのか? 実践版「レジリエンス・トレーニング」

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私自身は性格的にはレジリエンスが高い方だと思っています。失敗なんて山ほど経験したけれど、人生なんとかなると思って生きてきたし、仕事で心が折れた事もほとんど記憶がありません。でも、それでも不妊治療に関しては弱音吐きまくりダークサイド落ちまくりの日々です。そういう意味では、今が私の人生で最も大きな壁にぶち当たっている時なのかも。必要以上に落ち込まない、後悔の念に苛まれて日々を過ごさないためには、表面的なレジリエンスではなく、何か隠されている思考法があるのではないかと考えるようになりました。

人が比較対象にするのはいつも「架空」の出来事 

思うような結果が得られなかった時、人はいつも何かと比較をして「あの時ああしていれば」「こっちを選択していたら・・」という「たら・れば」の後悔をします。これは、決して起こる確証がない架空の出来事と、事実である出来事を比較しているに過ぎません。実態として起こることは1つであって、他のことと全く同じ条件の比較をするような場面は永遠にやってきませんよね。

例えば不妊治療で体外受精がうまくいかなかったとき、「別の病院に行っていたら」「別の誘発方法をしていたら」「胚盤胞まで培養せずに初期胚で戻していたら」といったことを考えると思います。でも、別の方法だったらより良い選択だったという確証はどこにもありません、むしろ、もっとひどい結果だったかもしれないのです。それなのに、そのあまりに不確実な架空の選択肢がまるで正解だったかのように錯覚して、その方が良かったかもしれない、と考えてしまっている、と気づきました。

つまり、頭の中で勝手に「うまく行っていたはず」という理想を作り上げて、その理想と現実を比較しているにすぎないのです。これって、自分で自分を不幸にする思考回路だな、と思ったわけです。

楽観性や自己肯定感のつまるところ

レジリエンスでいう楽観性や自己肯定感というのは、結局のところ「これが自分のできる最善だった」という「納得感」を持てるかどうかなのだと思います。後悔や失敗における後ろ向きな感情というのは、「準備する時間はあったのに遊んでしまった」といったわかっていたのに手を抜いたとか、努力しなかったといった「選択」ではない自分の行動に対して生じるもので、これは後悔というよりも反省に類するものな気がします。この類の反省をしなくて済むように物事に取り組むことは必要だと思います。その上で思うような結果が得られなかった時は、架空の理想と比較するような意味のないことはしない。それこそがレジリエンスの本質なのではないでしょうか。

あるレジリエンスの達人の癖

私がこれまで出会った中で「この人のレジリエンスは本物だな」と思っているすごい方がいるのですが、その方は冗談半分で「辛いと思うような事があった時は、いつも本能的に自分より厳しい境遇にいる人のことを想像している。その日食べるにも困っている途上国の子や、すぐそばで戦闘が起こっているような地域に住む人のことを考えて、自分の辛いなんてこれっぽっちもたいしたことじゃないって思い直す」と言っていました。

これはちょっと極端すぎる例かもしれませんが、その方の場合は意図的に「理想」ではなく、現実よりも「もっと悪い・辛い状況」を想像することで、気持ちが折れないようにコントロールしているのかもしれません。これは決して「気の持ちよう」なんてざっくりした事ではなくて、辛いことがあった時に具体的にどんなことを考えるか、という思考の癖が大いに関係しているように感じます。 

ここまで突き詰めて考えてみても、だからと言って突然ものすごいバラ色な日々になるなんてことはありません。ただ、様々なInputを自分なりに咀嚼して自分で出した結論というのは、少しだけ私の心を軽くしてくれていることも事実です。今までなんて無駄に自分を追い込んでいたのだろう、と。感情のコントロールほど難しいものはないと思いますが、自分で自分を不幸にしてしまうような思考回路は断絶して、日々を過ごしたいなと思っています。