もう、不妊治療の結果に、一喜一憂する気持ちがなくなった。希望の数だけ失望があると、知ったからだ。
無になる
AIHを始めた頃は、内膜の厚みとか、精液検査の所見とか、基礎体温の変動にさえ一喜一憂していたと思う。
体外受精を始めた頃は、採卵数にも凍結数にも胚のグレードにも一喜一憂していた。
でも、今は治療に関してもうほとんど何も感じない。
無だ。
途中経過は、文字通りただの通過点でしかなく、そこに感情を持つ事は無意味だと感じるようになった。
採卵数が多くても、胚盤胞がたくさんできても、陽性反応が出ても、心拍確認ができても、安定期に入ってもそれはまだ何の結果でもない。
その途中で予期せぬ失望に襲われる人を山ほど見てきたし、自分自身も経験している。
だから私は誰に対しても、産まれたという報告を聞くまで「おめでとう」という言葉を使うのが怖い。
「がんばる」という概念のない世界
不妊治療なんて、味気ないものだ。
人生がフルコース料理だとして、こんな味気ない料理は正直要らない。
良い途中経過を「希望」と呼ぶのなら、その裏には必ず「失望」が存在している。
そう思ってしまうくらいには、私の感情は捻くれてしまった。
まして、自分に努力できることなど限られている。
無事に元気な子どもを産めると約束されているのなら、どんなことでもする。
お金なら積むし、食事や生活を制限するくらい苦でもない。毎日滝行をしろと言われればやると思う。
でも、残念ながらそういうものではないらしい。
努力しても報われない世界があるということを、初めてリアルに知ったような気がする。
精神論とかどうでもいい
こういうネガティブな事を言うと、「信じていないからだ」とか「言霊ってあるんだよ」とか言う人がいるが、それは努力が返ってくるものにしか通用しないと思う。
私も数年前は、子作りすればすく妊娠すると本気で信じていたし、通院を始めても不妊治療さえすればすぐ子どもは産めると思っていた。
信じるもなにも、それくらい当たり前のものだと思っていたのだ。
でも、そうではなかった。
一方で、不妊治療していても、対処法がある方は、わりとすんなり卒業できる現実もある。
周囲の人には、私のように熱のない治療になってしまう前に、一日も早く卒業してほしい。
そう願うけれど、そんな方達のハイテンションな空間には付いていけない、冷めた自分もいる。
こんなだから冷たい感じがするかもしれない。
タイトルにした「希望の数だけ失望は増える」という響きは、Mr.Childrenの「くるみ」という曲の歌詞の一節である。
この曲は、こんなフレーズで締め括られている。
希望の数だけ失望は増える それでも明日に胸は震える
「どんな事が起こるんだろう?」 想像してみよう
出会いの数だけ別れは増える それでも希望に胸は震える
引き返しちゃいけないよね 進もう君のいない道の上へ
正直、私の目にはほとんど暗闇しか見えていない。
でも、こんな失望に溢れた世界でも、まだ知らない未来は続いていく。
治療に対しては、淡々と、進んでいくだけだ。