めありずむ

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誰もが費用を気にせず不妊治療を受けられる国にする方法(いのちのコスト第5回)

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本シリーズ記事では、何かと理由をつけて本格的な議論が進まない不妊治療費の保険適用について様々な角度からこうすれば実現できるんじゃないの?という記事を書いてきました。今回はシリーズ記事の最終回として、第1回~第4回の要点整理と切実な不妊治療の保険適用を望む声をお届けしたいと思います。

いのちのコスト ーシリーズ記事の要旨まとめ

  1. 世界的に不妊症は「疾病」という認識が標準であって、高度生殖医療を含めて保険診療とされて然るべきものである
  2. 日本の不妊カップルは6組に1組と言われ、推定100万人にも上る可能性がある。これは全国の教職員数と同程度で、とても無視できる数ではない。
  3. 不妊治療は少子化対策のために行うものではないので、少子化に貢献できなければ意味がないという議論はナンセンスである(そもそも日本が少子化を食い止めるのは逆立ちしてもすでに無理、この議論は50年前になされるべきだった)
  4. 社会保険料を上げなくても不妊治療費の財源は十分捻出し得る。なぜなら、今の日本人は人生最後の3日間で生涯医療費の3割を使っていると言われているからだ。誤解を恐れずに言えば、超高齢のもはや救えない命に対して「無駄に」医療費の3割が使われているのである。この誰も幸せにしない医療費の使い方を見直すべきである。
  5. これを見直すには、自身や家族の老いや死生観、よりよく生きる、よりよく死を迎えることに対する準備が圧倒的に不足している現状を改善すべきである。医療従事者、福祉関係者、教育を含む一般レベルで成熟した死生観の醸成が急務である。
  6. 欧州を中心とした先進国の多くは不妊治療を保険適用としており(年齢や回数の制限は設けている)日本は世界から大きく遅れを取っている。
  7. 日本で不妊治療費を保険適用にする場合も、費用対効果を最大にする目的で、治療ガイドラインの整備や年齢や回数の上限設定はすべきであるし、既に具体的な議論が十分可能なレベルに治療実績が蓄積されている。それ以外に想定される課題についても、早い段階で議論・計画化し、早急に取り組みを始めるべきである。

不妊治療費について議論されるときに必ず出る「社会保険料が上がるのは嫌だ」「どうせ少子化は食い止められない」という2点についてはカウンターを打ったつもりです。社会の課題を高齢社会のせいにするのはもう終わりにしましょう。このシリーズのタイトル、「いのちのコスト」には、いのちの終わりの医療費をいのちの始まりの医療費に変えていこう、という本シリーズの要旨の意味を込めました。

制限がある以上100%の対応ではありません。でも、夢物語を望んでも無意味なことは自明。あくまで現実的なラインで実現する事が重要です。細かい点は議論の余地がある内容も多いですが、この概論は必ず成立する内容であると信じています。

不妊治療を保険適用にしていないというのはどういうことか?

例えば「義務教育ではないが高校の授業料は無償」という政府があったとして、「高校に入りたいのは勝手だけど、あなたは学力が足りないから全額授業料払ってね」と決めたら、どう思うでしょうか?学力で差別するとんでもない政府だと思いませんか?

 高校入学=妊娠する過程

 高校卒業=出産

 学力=自然妊娠力

 授業料=治療費

この状況が指しているのは、「学力が高い人は無償で卒業できて、学力が低い人はお金を払わないと卒業できない」置き換えれば、「自然妊娠できる人は無償で出産できて、不妊症の人はお金を払わないと出産できない」ということです。(当たり前ですが出産にお金がかからないという意味ではないです)

不妊治療を保険適用にしないというのは、そういうことではないでしょうか?高校教育も妊娠出産もどちらも義務ではありません、でもどちらも望む人には同様の権利があるはずです。これだけ国民の権利が謳われている中、教育を受ける権利と同じように、子どもを授かる権利を主張することは自然な流れだと思います。

欧州で不妊治療が比較的オープンな話題とされ、保険適用に対しても全般的に理解があるのは、それが他の権利と同じであるという認識が進んでいるからでしょう。それは、病気の人が治療費を社会保険で賄ったり、障害のある人が保障を受けたりするのと何ら変わりません。これを国家として「不妊のことは知らん、仕方ない」と言えることが、私には理解できません。 

保険適用を望む声も社会の理解も進んでいる ー遅れているのは政府の対応だけ

Twitterで挙がっている声を少し抜粋させていただきました。これらは不妊治療患者だけの声ではありません。純粋な疑問としてや社会保障への課題として問題視している人たちがたくさんいるということの表れだと思います。

 

 

日本でも不妊治療費を保険適用にすべきであり、早急にこの議論を進めるべきです。 

代議士の方、政府関係者の方、行政関係の方、メディア関係者の方、動いてくださる方がいらっしゃれば、可能な限りご協力致しますのでご連絡ください。

 

あとがきに寄せて

私の大叔母は適齢期で結婚したが、子どもに恵まれなかった。本人達も子どもを望んでいたし、子どもが大好きで、又姪にあたる私達姉妹でさえ、子や孫のようにとても可愛がってもらった。学校が休みになると喜んで大叔母の家に泊まりに行ったものだ。嫁ぎ先は従業員を抱える町工場の2代目。周囲からは想像を絶する跡継ぎプレッシャーを受けたそうだ。痛みを伴う民間療法やお祓いに連れて行かれたり、嫌味を言われる相手はご主人の両親に止まらず親戚一同やご近所さん義母の友人にまで及んだという。しかし、不妊治療がまだ一般的ではなかった40年も前の話だ。どうすることもできなかった。

結局大叔母は40半ばから不妊症をきっかけに精神も神経も患い、私が小学校高学年になるころ、50歳の若さで亡くなった。これは私が物心付いてから初めて、身近な人の死に向き合った出来事となり、なぜ彼女が病気になったのかを祖母から聞かされた時は子どもながらに本当に苦しかったことを覚えている。彼女はかわいらしくて本当に優しくて温かく、察しが良くて、些細なこともたくさん褒めてくれるような包容力のある女性だった。子どもがいたら、きっと素敵なお母さんになっていたと思う。

あの頃にもし十分な高度生殖医療が受けられていたら、大叔母の人生は変わっていたかもしれない。「子どもを産めない身体に産んでしまって申し訳なかった」「大変な家に嫁に出してしまって申し訳なかった」お葬式の合間に、曾祖母は亡くなった娘の棺に向かっていつまでも謝っていた。そのあまりに痛々しい姿は、私の脳裏に焼き付いている。

今はそんな時代とは違う。医療技術は目覚しい進歩を遂げているし、不妊症の人でも治療で授かる可能性が高まった。しかし、経済的な問題で高度生殖医療までは手が届かない人、満足に治療を成し遂げられない人がたくさんいる。むしろ私自身を含めて今治療を受けている人のほとんどは、高額な治療費をなんの躊躇もなくポンっと出せるような家計ではないと思う。私たちが治療費にあてているのは、不妊治療が必要ない人と同じように、子どもができたら家を建てよう、ファミリーカーを買おう、学費を用意しておかなきゃ、そうやって将来の家族との暮らしのために稼ぎ貯めてきたお金だ。

医療技術は進化しているのに、社会や制度はその当時とさほど変わっていない。この状況を大叔母が見たらどう思うだろう。私が同じように不妊で苦しんでいると知ったらどんな言葉をかけてくれるだろう。きっと、自分と同じように苦しむ人をこれ以上見たくないはずだ。

今からこの議論を始めても実現には数年かかるだろう。その頃には私はもう治療を受けられる年齢ではないかもしれない。でも、私は自分が不妊治療をしているという理由だけで、この訴えをしているわけではない。この議論は、根本的な日本の歪んだ社会構造を変えていくきっかけになり得ると思う。

経済的な理由で子どもを持つことを諦めざるを得ない人が一刻も早くいなくなる社会を。私はその思いで、日本が誰もが経済負担なく不妊治療費を受けられる国になることを願って、この問題に向き合い続けたいと思う。

 

<シリーズの各記事は以下のリンクからご覧いただけます>