めありずむ

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【図解】不妊治療が理不尽で辛い理由

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不妊治療してるとすごーーく理不尽を感じます。一方で、関係ない方からすると、不妊治療をしている人の訴えは過剰に聞こえるという声も。でもこれって、決して感情論じゃないと思うんだよね、ということを解説してみようと思います。

不妊治療の何が理不尽なのか

不妊症は大前提として、多くの人が自然に妊娠できる状況にあって「本人がどうしようもない理由で、自然に妊娠することが難しい病気」です。

  • 経済的負担:高額治療費の10割自己負担、仕事との両立の困難さ
  • 身体的負担:自己注射や副作用、静脈麻酔など度重なる治療による苦痛
  • 心理的負担:日常生活に潜む心無い言葉、出口の見えないトンネル感
  • 社会的負担:社会的マイノリティ感、閉塞感、孤立感、職場での肩身の狭さ

この負担の各々について同じかそれ以上の「苦しみ」を抱えている人は実はたくさんいると思っています。日本の社会に理不尽がないなんてことはありません。

生活保護を受けないギリギリのラインの家庭、時間的拘束の多い透析患者、家族の介護に24時間つきっきりという方、外からは分からない病気を抱えた方、もちろんたくさんいます。

私は不妊治療「だけ」がつらいとは言っていませんし、不妊治療が「一番」つらいとも言いません。ただ、「妊活」というワードが一人歩きをし、「就活」や「婚活」と同列に並べられてしまうことには違和感を覚えています。

不妊治療の話をすると露骨に嫌な顔をする方、みんな大変なんだから自分だけ配慮しろなんて言うな、という方に知っていただきたい、不妊治療がつらい理由です。

人生における充足感の方程式 

図解ってほどじゃないんだけど、人生における充足感(満足感、幸福感、達成感みたいなもの)には方程式があるんじゃないかと思うんです。

それがコレ。青は自分ではどうにもできないもの、オレンジは自分次第なもの。

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物事の評価や感想というのは「結果(事実)」vs「期待値」によって導かれているわけですよね。だから、同じ結果でも人によって受け止め方が変わる。

結果を自分で動かせないもの(他人の行動など)はどうしようもないので、充足感を変えるには期待値を変えるしかないわけですよね。

で、ここでは結果は自分が取り組むものとか、自分の目標みたいなものに絞って考えていこうと思います。

自分が努力できるライフイベントの場合

で大概のことはこの方程式に当てはまると思うんです。例えば受験なら才能と運は自分ではどうしようもできませんが、それ以外は何らか自分でコントロールすることが可能です。

たまに期待値を固定されてしまっていて、結果が伴わないというケースもありますが、浪人すると期待値はコントロールされるケースが多いと思います。

これは就職でも、結婚でも、子育てでも基本的には同じことが言えるかなと。

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合否がはっきりする資格試験なんかは期待値のコントロールは変動できないので厳しいものがありますが、ここは「行動」と「鍛錬」という自分の努力によって補える領域がとても大きいので、その努力に応じて自分の中での真の期待値(何点取れれば良い方だな、とか1科目合格できればいいか、といったもの)というのが勝手に出来上がっていくのではないかと思われます。

自分ではどうしようもないライフイベントの場合

病気や被災、不慮の事故といった自分ではどうしようもないことも起きえます。(殺人被害に遭うとか特殊なケースはちょっと例外ね)これは、自分ではどうしようもないという点で不妊治療にとても近い領域です。しかしながら大きく異なる点が2つあると思います。

  1. 最悪の事態との比較が期待値コントロールに含まれる
  2. 基本的には社会に守られる存在になる

私は母が脳腫瘍にかかったとき「急に意識不明とかじゃなくて良かった」と自然に思いましたし、手術で「すべては取りきれなかった」と言われても正直「亡くなったわけじゃないし、失明しなくてよかった」と感じました。

もちろん、欲を言えばもっとベターな状況はありますよ。でも同時に何らか、同じ条件下でも「この状況よりはマシだった」と思えるものがある気がするのです。

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不妊治療はがんじがらめ?

じゃあ不妊治療はどうかというと、自分次第な領域が「行動」しかないんですよね。これは病院を選ぶとか、薬を飲むとか、そういうこと。

多くのケースで可能な「期待値」すらコントロールできないのはなぜかというと、不妊治療が必要という状況下では、「出産」しか目的がないからなんですよね。50%出産とかないし、産めるか産めないかの二者択一じゃない?

例えばこれが「子どもが産みたい」という目的に変われば、期待値は「自分の遺伝子じゃなくてもいい」といったものが出てくるんでしょうけど、日本の不妊治療にはそれがないんですよね。卵子提供はだめ、PGT(着床前診断)もだめ、じゃそういう別の答えを見出す事が難しいんです。

(もちろん、治療をやめれば養子といった別の選択肢はありえますし、時代が違えば治療さえ受けられないわけですが、それは「条件が変わる」のでこの議論では例外で)

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そして、一般的な病気や障害等々との大きな違いは、この自分ではどうしようもない状況で、期待値もコントロールを許されない上で、さらに高額な経済負担や理解のなさが乗っかってくるというところです。

よく不妊治療だけじゃなくて世の中辛い事はたくさんあると言われます。もちろんそうです。理不尽なことは数え切れないでしょうし、挫折は人生のいたるところに転がっています。

実際、よほどのエリートでもない限り、人生で挫折したことのない人なんて少ないでしょう。みんな何かが叶わなかったり、諦めたりしているけれども、人って期待値をうまくコントロールすることで折り合いをつけて生きていると思うんです。

そして、本当にどうしようもない状況に対しては、人間社会は正義や保障という概念でサポートとしてきました。(もちろん、足りない部分も多々あるんだけどね)

不妊治療があまりにつらいと感じるのはまったくおかしいことではないし、理不尽を訴えるのは至極当然なんじゃないですかねぇ。

特別扱いじゃなくて「あたりまえ」にしてほしい

不妊治療だけを特別視してほしいのではないのですよ~!

他の病気と同じように「公的医療保険」の対象になったり、「子どもが熱出したんで休みます」というトーンで「明日通院になったので休みます」と言えたり、「つわりがひどいので在宅勤務」をするのと同じように「副作用がひどいので在宅勤務」を許してほしいし、それが普通のことであるという世の中になってほしいのです。

保険適用を要望しているのは、不妊治療も他の事情と同じくらい厳しい状況なのに、他の事情ほど社会的な支援が追いついておらず圧倒的に「遅れている」分野だからなのです。

保険適用の実現を目指す署名活動をしております。

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