めありずむ

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奇跡だけど奇跡なんかじゃない - 結婚9年目の出産

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無事に出産できたら書きたいと思っていたことがあります。私は結婚9年目にして、体外受精を経てやっとの思いで先日、第一子を出産しました。

希望の産声

無痛分娩の麻酔が追いつかないほど超が付く安産だった。

破水が先だったので管理入院したものの、分娩時間(10分間隔の陣痛開始から胎盤排出まで)の公式記録は約4時間半、会陰切開もなく裂傷もほぼなく、スルりと我が子は誕生した。36歳の初産とは思えない安産で病院スタッフもびっくり。(通常、初産の平均分娩時間はおよそ14時間、経産で約8時間だそうです)

計画分娩ではなく自然な陣痛を待ったので2時間程はひたすら痛みに耐えたが、しかしいきむ回数も少なくほとんど消耗しなかったので、自分の身体から別の生命体が産まれる一連を、ある意味で冷静に傍観することができた。

「もう頭出ましたよ~、力を抜いて~」と言われたその瞬間、フッと身体が軽くなったような気がした。1、2、3秒、時が止まったように長く感じるほどの間の後、「ふぅぇぇぇぇん」という産声がした。

小さな小さな身体から放たれる無限の生命力。冷静に出産に向き合っていたのに、いや、だからこそ、私は嗚咽するほど涙が止まらなくなった。息ができなくて夫が心配するほど泣いた。

喜び、安堵、コロナ禍でもこの瞬間に夫が立ち会えたことへの感謝、不妊治療に疲弊した過去、実母にこの子を抱かせてあげられなかった無念さ、すべての感情がぐちゃぐちゃに込み上げて、しかし数分後、ポジティブな感情だけがその場には残った。

私達夫婦の元に、元気に産まれてきてくれて、本当にありがとう。  

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生殖医療がなければ産まれなかった命

一つだけ確かなことは、生殖医療がなければこの子は99%産まれることがなかっただろうということ。私は約5年間の人工授精~体外受精の間に、約90個の卵子を使って、1回流産し、やっと1人出産した。

未だに子どもは計画的に作れるものだとか、若ければ大丈夫だろうと考えている人が相当数いるようだけれど、私達夫婦のように年齢とは関係なく、妊娠の確率がとても低いカップルはたくさんいる。

私達の場合は小さい原因はいろいろあったが(実際は原因が明確な方が珍しいが)、均衡型相互転座という染色体の構造異常が最も大きな原因だった。

実年齢よりも染色体が正常な受精卵(つまり出生可能な受精卵)ができる確率がとても低かった。おそらくはそのせいで流産もした。

「出産は奇跡だ」と、人は当然のように言う。

もちろん、数多の生物学的条件をクリアしてやっと妊娠が成立し、数多の障害や困難を乗り越えて、命懸けでやっと出産が叶う。当たり前なことでも簡単なことでもないという意味で、出産は奇跡だ。

特に私達のように明らかに妊娠(出産)の可能性が低いケースでは、他人までもが簡単に「奇跡的だよね」と言ったりするし、言われた自分たちもそれを否定する気はない。実際、医学的に解明されていない部分も残っているわけだし。

だけど、私はこうも思う。

私の出産は、奇跡なんかじゃない

「奇跡」という人の手を離れたような不思議な代物ではない。

今ここにある命を生み出した生殖医療技術は、人類の叡智が作り上げ、常態としてこの世に存在するものだ。必要とあらば、誰もがアクセスできるはずの現代のテクノロジーだ

コウノトリでも、生活習慣でも、妊娠菌でも、ご先祖様でも、神頼みのおかげでもない。

子どもを持ちたいと願っているだけではなく、医学的見地から不妊原因を追求し、適切な治療法を求め、最新の医療技術を駆使して、諦めずに5年もの不妊治療を続けたからこそ、我が家に新しい命が誕生したのだ。

だから私の出産は、奇跡だけど奇跡なんかじゃないのだ。

母に孫を抱かせてあげたかったという後悔

不妊治療の開始から出産までにはトータルで6年かかったけれど、それでも生児を得られた私達は運がよかった。

治療が成功したことは、本当にいろんな条件に恵まれた結果であることは間違いない。間違いないのだけど、時間を無駄にしてしまったという後悔は正直拭えないでいる。

私の母は昨秋に他界した。私が妊娠するほんの少し前だ。

あと1年早く、私が必要な治療に辿り着いていれば、母に孫の姿を見せてあげられた可能性は高い。タラレバを言っても仕方ないのだけれど、もっと最短距離で治療できたのではないか、と自分を責める気持ちが心の奥底に残っている。

結婚後、専門クリニックでもない町の産婦人科医の「排卵も問題ないし若いから大丈夫」という言葉を真に受けて、自己流の妊活なんてしている場合ではなかった。一刻も早く専門の不妊検査を受けていれば2年近く治療のスタートは早まったはずだ。

32歳、人工授精で初期流産した時点で何らかの異常を疑い、染色体の検査や体外受精へのステップアップを考えるべきだった。当時は私も医師も「今回は流産してしまったけど、人工授精で妊娠できるということがわかって良かった」なんて呑気に考えていた。あまりに高額な費用に尻込みし(我が家は所得制限で助成は受けられなかった)、体外受精に踏み切るまでに1年以上人工授精を続けてしまったことも後悔している。

この2つの「タラレバ」だけでも、我が家の不妊治療は3年はショートカットできたかもしれないのだ。 

私達夫婦が子どもを望んでいるという意思、不妊治療をしていることは話していたので、母は口には出さなくても、ずっと孫のことを気にかけていた。

いつも、自分の病気のことよりも治療する私の身体を心配してくれていたが、きっと本音では、孫の誕生を心待ちにしていただろう。せめて、妊娠したことを報告できたら、母が1日でも長く生きる活力になったかもしれない。

お母さん、元気なうちに孫を抱いてもらうことができなくて、本当にごめんね。当時の自分の無知と決断力の不足で治療に時間をかけてしまったこと、それが一番悔しい。

不妊治療には正しく理解されていない課題が多い

例えば「女性は年齢を重ねると染色体異常が増え(いわゆる卵子の老化)妊娠率が下がる」という事実は程よく認知されてきているが、それが「不妊は女性の年齢が原因である」という極端な言説に置き換わってしまっているケースはよくある。

「体外受精などの高度不妊治療を行っている年齢層が高い」とも言われ、それも事実ではあるものの、「不妊治療自体を始めた年齢」は多くの調査で30代前半までが7~8割を占めており、高度不妊治療に辿り着く年齢が遅れてしまう要因は患者の実際の年齢以外にも存在する。

不妊原因によっては年齢に関係なく高度不妊治療が必要だ。しかし、高度不妊治療へステップアップするのにかなりの時間がかかっているのだ。

細かい課題が多岐に渡るが、その主な理由は、以下の5点に集約されるのではないかと思う。

  • 不妊・不育を専門としない産婦人科医の知識不足により、適切な誘導が少ないこと
  • 費用の自己負担が多く(助成金も不十分で)特に若年層が高度な治療に踏み出せないこと
  • クリニック間の治療格差、標準治療がないことで非効率な治療が横行していること
  • 時間的拘束の増加による通院負担と仕事やキャリアとの両立の難しさ
  • 治療に対する社会的認知の低さ、理解のなさ、当たり前の選択肢になっていないこと

我が家もまさにこれらの課題に直面した。その結果、治療が長引いたという要素は否定できない。

自分のことはもう過ぎたことなので仕方がない。でも、世の中には私と同じように現状の不妊治療環境の影響で、最短距離で治療をできていない人が本当に多いと思う。 

私の後悔は自分自身に向けたもので、社会に責任を転嫁しようなどという気は毛頭ない。 ただ、私の「タラレバ」には日本社会が抱える不妊治療環境とも密接に関係しているとは思う。

  • 産婦人科医の知識格差がある程度改善されていれば、20代のうちに適切な不妊治療を開始できたはずである
  • 保険適用など治療費の自己負担が今よりずっと軽ければ、早期に体外受精にトライし、自分たち夫婦の状況把握が進んだはずである
  • 不妊治療に標準的な治療ガイドラインがあり施設格差が是正されていれば、最初から培養技術や卵巣刺激法、PGT-A(着床前診断)などについて世界的にも標準化されている治療を受けることができたはずである
  • 30代前半という仕事でも伸び盛りの時期であっても、キャリアを捨てずに治療できる環境が整っていれば、もっと早期に会社にも相談し体外受精にトライしたはずである

上記の例は私の「タラレバ」であるが、他にも多くの患者が似たような、そしてまた違った「タラレバ」を経験しているだろう。

そしてこれらの課題はどれも、社会的な仕組みによってある程度解決可能だと思う。

その第一歩こそが「不妊治療・不育治療費の全面的な保険適用」であると確信を持って主に政治への働きかけを行っている。

この治療環境を是正しない限り、日本はいつまでたっても「世界一体外受精件数が多いのに、世界一その治療成績が悪く」て「その責任を患者に押し付ける」国のままだ。

私が当事者としてアクションする原動力は、同じ悩みを持つ誰かに、私と同じ後悔は絶対にしてほしくない、という思いであり、過去の自分への後悔を成仏させる免罪符のようなものなのかもしれない。

生殖医療が必要な人の妊娠・出産を「奇跡」にしないために

うちはもう、二人目の治療はしないと思う。

チャレンジすれば可能性はあるかもしれないけれど、でも、もう気力もお金もない。

本当は二人はほしいと思っていた。あと2年早く第一子を産んでいて、保険適用や治療の選択肢が増え、当事者として要望している項目がある程度揃っていたら第二子に確実にチャレンジしただろう。

でも、正直今の環境で、あの地獄のような治療生活を繰り返す自信がない。与えられる限りの資源をまずは目の前の命に使うことで精一杯だ。

ただし、それは「不妊治療」の世界と縁を切るという意味ではない。私は妊娠しても出産しても子どもが成人しても、いつまでだって不妊治療当事者だ。自分が経験した不妊治療の理不尽さや違和感、そして私と同じ後悔をもう誰にもしてほしくない。

もちろん、すべての人を救うことは現実には難しいハードルがいくつもあるが、現実的な選択肢を提示しカップルが家族の形を選んでいくことは十分に可能なはずだ。

これからも、自分にできることに全力で取り組みたい。

私達が生殖補助医療に求めるのは「奇跡の出産」などという代物ではなく、不妊・不育症という疾病で苦しむ人の出産を奇跡にしないだけの、地に足のついた医療提供体制とそれを支える社会制度の構築だ。 

医療の介入が必要な人を含めて、子を望むすべてのカップルの妊娠・出産を奇跡にしないこと、それこそが私達の世代が作り上げる新しい社会だと信じている。