めありずむ

不妊治療・育児・Mr.Children・手帳・雑記ブログ

【新シリーズ】不妊治療エビデンス狂想曲(目次)

f:id:sweet-honey83:20200502125917j:plain

以前「いのちのコスト」というシリーズ記事を書いていましたが、今回それに続くシリーズ記事を考えたいと思っています。テーマは「不妊治療における治療データの意義を問う」こと。

いつ完成するかわからないけど(もちろん出産前には終わらせたいが)、とりあえず見切り発車することにしましたww

正直に言うと、こういう小難しい内容の記事はウケません。アンチが~とか、ムカついた話とか、ふざけてる記事の方が反応が良いです。私もそういうの書く方が数倍楽です。

それでも私が改めてこんな記事を書こうと思った理由は主に3つ。

  1. 日本ではエビデンスを無視した治療法がまかり通っていることへの違和感
  2. 不妊治療領域は他の医療領域と比較してもデータ活用が進んでいない
  3. 医師などの専門家だけでなく、患者レベルで研究論文の解読やデータリテラシー向上が必要な状況

要は、この日本の不妊治療環境の野放し状況に危機感を覚えているからなのです。

では、シリーズの内容をかいつまんでご紹介させていただきます(内容は一部変更になる可能性がございます)

①医療における治療データの意義

いわゆるEBM(Evidence based Medicine:根拠に基づいた医療)の重要性が日本の医療界でも広く認識されるようになってきました。

EBMは「入手可能で最良の科学的根拠を把握した上で、個々の患者に特有の臨床状況に配慮した医療を行うための一連の行動指針」などと定義されています。

生殖医療の多くの場面で、これ、行われているという実感ございますか?(私はあんまりなかったです)

医師個人の限られた経験や勘や信念ではなく、患者固有の事情や意思などを総合的に判断して、科学的な根拠のある治療法を選択しようという考え方は不妊治療こそまだ遅れがちではあるものの(施設や医師によりますが)医療全体に広まってきています。

こうしたEBMの実践に、根拠のある客観的な医療データは欠かすことはできません。

まずは、なぜこのEBMが重要とされているのか不妊治療を例に、ベーシックな部分をまとめてみたいと思います。

②エビデンス(根拠)はデータでしかわからない

EBMの基盤になるのが「データ」だと思っています。

データム(datum)の複数形で、「論拠・基礎資料、実験や観察などによって得られた事実や科学的数値」などを意味する。「与える」意のラテン語ダーレ(dare)の受身形からでたもの。

『大日本百科事典』(小学館, 1980)

まぁ・・データ=「客観的で再現性のある事実や数値」という感じですかね。単なる「事実」であれば客観性や再現性は必要ありませんが、EBMにおける根拠にはこの2つは欠かせないと思います。

「データ」という観点から研究論文のエビデンスレベルの理解と、不妊治療におけるデータの価値を考えたいと思います。

③自己治療データの副産物

前半2回で、統計データ、つまり全体感としてのデータの重要性について触れたので、この回では「個人単位の治療データ」について、その目的や意義を考えたいと思います。

データというとなんとなく多数の人の情報を集めたものをイメージしがちですが、実は個人単位でも情報をデータ化することによって可視化できるものがあるのではないかと感じています。

④不妊治療領域でデータ活用が進まないのはなぜか

最初から医療データの価値についていろいろ論じていますが、なぜ不妊治療界隈はデータ活用があまり進んでいないのか、他の疾病領域との比較も交えながら、考えられる理由と共に少ないデータ活用環境に触れたいと思います。

⑤正解のない不妊治療における近道

個人的には、100%成果が出るとは限らない不妊治療の鍵は「納得感」であると思っています。結果が伴えば最高であることは事実ですが、現実はそれほど簡単ではない。

ただ、治療に後悔を残すか残さないか、という意味では仮に治療をやめた時にも結局自分たちが納得できたかどうかが、次のステップに進む時には重要なのではないかと。

今の不妊治療環境は、残念ながら患者が賢くならなければ食い物にされてしまう場合もあります。あんな高額なのに、治療の責任を取れるのは自分だけです。だから、しっかり根拠に基づいた判断をする機会が増えることが、やっぱり基本にはなるのかなと。

ただ、医療の世界はいつも「自分」が「その他大勢」に入るのかは定かではない、という課題が付きまうことも事実です。

だから、エビデンス=データはほぼ事実であるものの、治療においては最後は自分が選択するしかない、という残酷さがあって、各々がそれを乗り越えて行かなければならない。

エビデンスは、絶対をくれる約束手形ではないけれど、その情報をうまく使い分けるしかない。タイトルの「エビデンス狂想曲」にはそんな思いも込めました。

日本の不妊治療においても、データが福音になる日は近い、個人的にはそう信じて、このシリーズを完走したいという決意!