めありずむ

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不妊治療に付きまとう生命倫理という十字架

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最近、生命倫理というものについて考えることが多くなった。この記事は、私の脳内で反芻している内容を表に出しただけのものなのであしからず。

 

生命倫理を考えるきっかけ

単純な話だ。

最近、生殖医療の未来について議論される機会はあるが、常に「生命倫理の問題がある」という一文で新しい可能性を否定して終わってしまうことがあまりに多い。

生殖医療を語る上で生命倫理について触れないことは無理だと思う一方で、これを当事者だけの問題とし、法整備も行わなければまともな議論さえ避けている世の中の思考停止感に嫌気が差している。

現代日本の不妊治療当事者にとって「生命倫理」は、いわば十字架のようなものだ。

着床前診断にしても、出生前診断にしても、精子提供や卵子提供にしても、代理出産にしても、自らの選択によっては「生命倫理に反する・反した」というレッテルと隣り合わせで、文字通り、一生を通じて十字架を背負って生きる事になる。

そもそも生命倫理が、と言っている側にさえ一貫性がないのに、まるで表立って議論することさえタブーのように扱われるなんて、それはあまりに乱暴ではないか。

ちなみに、日弁連が生殖医療技術の利用に対する法的規制に関する提言を出し、法整備の必要性を訴えたのは20年近く前の話になるが、この20年もの間、日本はそれを放置してきた。

(20年って世代が代わるほどの年月ですよ、これが日本の生殖医療に関するスピード感です。だから今こういった治療法や保険適用の話も声を上げてテーブルに乗せていかないと、子の代でも孫の代でも実現できなくなってしまうかもしれないと思っています。)

国としての思考停止状態が、どれだけの人を苦しめているか、どれだけ他国から遅れを取っているか、頭の痛い現実だ。

我が家では現実的な課題でもある

それに加えて、我が家の場合は元々「染色体の構造異常(相互転座)」という不妊原因を抱えているため、「生命倫理」は現実に向き合わなければいけない課題として目の前に横たわっている。

おそらく通常の同世代の家庭よりも「子どもを望んで良いのか」「不妊の苦しみまで子に遺伝してしまうのではいか」といった問いや、現実的な選択肢として自己卵での治療継続か、養子縁組か、卵子提供、DINKSか、どの方向性に進むべきかなどを夫婦で何度も重ねて議論してきている。

それぞれの体験談からインタビュー記事、研究論文、書籍、ポジティブなものもネガティブなものも、日本のものも海外のものもそれなりに読んできた。

だからこそ、正解のない、本当に本当に極めて難しい話題である事は承知しているつもりである。

よって、この記事においては結論や主張といったものもないし、個人ブログであるのをいいことに各組織などへの配慮や忖度も一切考えていない。

(センシティブな話題だけど、その点、ご理解いただけますようお願いします。)

何が生命倫理に反すると言われているのか

ここで一応前提の認識を合わせる目的で、各治療の選択肢がどんなもので、何が生命倫理に反すると言われているのかというポイントを整理しておきたい。

(それぞれこれまでに私自身が調べた内容等からのポイントのみの抜粋のため、記述に違和感がある場合などご指摘いただけると幸いです)

まずは着床前診断と出生前診断について。

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出生前診断も厳密にはNIPTと呼ばれる新型出生前診断以外にもコンバインド検査や母体血清マーカー検査を含む非確定検査と、絨毛検査・羊水検査による確定検査があり手法などが異なるが近年の代表検査であるNIPTを想定してここでは1項目とした。
並べてみてもわかるとおり、染色体(遺伝子)の異常がある場合にその胚(または妊娠中の胎児)を諦めるという選択をすることが倫理的に問題がある、とされている点で概ね共通している。 

次に第三者から配偶子などの提供を受けての生殖補助医療について。

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*「第三者同士の受精卵(胚)の提供」という項目は割愛した。また、代理出産は日本産科婦人科学会等では「代理懐胎」という表現を用いている事が多いが今回はわかりやすく代理出産とした。
 

こちらは共通して「子のアイデンティティー、出生を知る権利に関わる福祉的な観点」から問題があるという主張が日本国内では非常に多く、次いで「金銭的な対価を支払うことによって配偶子などを売買する行為に当たり、それが人間の倫理に反するのではないか」という意見が見られるようだ。

特に代理出産に関しては代理母にあたる人物の健康リスクが高いことから臓器売買(主張によっては人身売買)と同様であって許される行為ではないとする意見が目立つ。

ご存知の通り、日本では生殖医療に関する法律は全くないので、現時点ではどの選択肢も違法でも合法でもない

配偶子の提供に関しては、2003年に厚労省の精子・卵子・胚の提供等による生殖補助医療制度の整備に関する報告書によれば、第三者からの提供がないと妊娠できない場合には容認するという主旨の結論は得られているが、実際にこれに基づき国内でルール整備が進むことはなく、第三者からの配偶子提供はかなり限定的にしか行われていない。

従って、現在も学会などの団体による自主規制という形が取られており、日本国内では実施が難しく、海外での治療を選択する場合を含めて個人の倫理観に委ねられているのが現状だ。

ちなみに海外では代理出産については合法の国はアメリカ(一部の州)イギリス、イスラエルなどごく一部の国のみで、違法または全て禁止としている国が多い。着床前診断は認可されている国が多く、精子・卵子提供については欧米では認可されている国がやや多いのが現状である。 

数多の「生命倫理論」に感じる矛盾

続いて、上で書いてきたような一般に指摘されている「生命倫理に反する」というものに対して感じる矛盾や疑問を思いつくだけ列挙してみる。

生命倫理は主に医療技術の発展により生じている人間の生死に関わる部分の倫理観を指すが、ここでは少し広範囲に捉えている部分もある。

  1. まず着床前診断について、これが命の選別にあたるからダメという意見だが、なぜ同じように胎児の染色体異常を検査する妊娠初期の出生前診断は認められているのか?同様に、体外受精・顕微授精においてできた受精卵(胚)は「形状等(見た目による)評価が悪い」について破棄されることがあるが、これも同様の理由であれば問題視されていないのはなぜか?加えて、ARTにおける余剰胚の廃棄が問題視されないのはなぜか?
  2. 中絶にも同じ事は言えるが、妊娠する前は選択を認めず、妊娠後は産む側の選択を認めていることになる。これは完全なるダブルスタンダードではないのか?(中絶を認めるべきでないのではなく、どちらも認めるのが道理では?)
  3. 遺伝性疾患を持つ患者の立場でも、遺伝性疾患を排除するべきでないという主張がある一方で、自分の子どもには遺伝させたくないのでPGT-Mを受けたいという主張があるがこれは当事者でも立場により意見が異なるということではないのか?(主張に一貫性がないということではなく、患者の立場でも真逆の意見がある=つまりどちらか一方が正しいのではなく本人に選択する権利があって良いのでは?という意味で)
  4. 精子提供・卵子提供について「子のアイデンティティーや出生を知る権利に関連した福祉的な観点」から認められないという意見であるが、そもそも制度として確立している養子縁組は配偶子の提供どころか出生まで含めて遺伝子上の親と社会的な親が異なることを容認し社会的な関係を親子とする制度である。既に生まれた子である養子は福祉的な観点を超えて制度が確立され、精子提供・卵子提供は同じ点がクリアできないとする根拠は何か?医療を介して望んで子を持つことと、望まずに自然妊娠する(してしまう)ことのどちらが倫理性に欠けるのか?
  5. 次いで「生命をお金で買う」という感覚が生命倫理に反するという指摘があるが、ボランティア(無償)で精子提供をしているといった金銭が介在しないケースは問題ないという意見になるのか?
  6. 同じく、生命倫理は「死」についての倫理もその対象であるが、放置すれば亡くなってしまう方の命を高額な医療費でつなぎとめることも生命をお金で買う行為に当たり生命倫理に反するのか?また、養子縁組であっても民間団体を経由した場合数百万円単位の費用がかかる場合があるが、それも同じく生命をお金で買うという捉え方をされるのか?
  7. そもそもAID(非配偶者間人工授精)だけが認められていて体外受精・顕微授精での精子提供が認められない理屈は何か?
  8. 卵子提供が精子提供と比較してドナー(提供者)の身体的負担が大きいことが認められない理由だとすると、当事者が受けている不妊治療における卵巣刺激のリスクがあまり語られていないまたは問題ないと説明される実態とかなりの乖離があるがこれもダブルスタンダードではないか?
  9. 仮に金銭の問題ではなく、精子・卵子提供側の遺伝子が不特定多数の遺伝子と交配されることにあるとする場合、離婚再婚等により複数の異なる相手との間に子どもがいるといったケースも生命倫理上問題があるという理屈になるのか?医療が介在するかどうかでその捉え方は変わる理由は何か?
  10. 仮に遺伝子的血縁の問題だとされる場合、同性カップルが養子等ではなく精子・卵子提供を受けて半分はそのカップルの遺伝子を受け継ぎたいとする場合と異性カップルのそれは違うのか?同性カップルの場合には「持っていないから仕方ない」という理由が成り立つにも関わらず、異性カップルだと「エゴだ」という理屈は何に依拠しているのか?

何が言いたいかというと、個別に「それは生命倫理に反する」と言われる主張を並べてみると、実は一貫しているわけではなく、むしろ主張の前提が相反しあい、ぐるぐる回っているようなところがあるのだ。

結局こういった行為が「倫理に反する」となると既に世の中に起こっていることを否定してしまうこともあるわけで、生殖医療だけを目の敵にするのは違和感があるのである。

自分が納得できる答えを見つける

最初に当事者だけに十字架を背負わせる状態なのは乱暴すぎる、と書いた。

その意図は、どういった選択肢も公平に選ぶことができる権利があるという保障のための法整備をするべきである、という一点に尽きる。

(本来は運用制度も伴うべきだし、時代のニーズに反して全部禁止みたいな流れならない方がマシかもしれないが今回はこの辺は触れません)

その上で、本人や家族が自分達にとってベストな選択肢を取っていければ良いのだと思う。その答えや、現実的に取り得る選択肢は、家庭によって、人によって、全部違うのが当然だからだ。

そして実世界においても、親子や家族の形成手段やバックグラウンドに関係なく、差別や偏見を持たれることもなく、それぞれが尊重される社会なら良い。

治療法を含めて多様な選択肢が家族の形として保障されている前提であっても、自分達にとってのベストな選択肢が何であるか、という問いは残り続けるだろうと思う。

その選択が決して十字架を背負う事を意味しないことが、今とは大きく違っていれば良いのだ。

  • このまま不妊治療継続
  • 着床前診断を含めた不妊治療継続
  • 卵子提供による治療継続
  • 精子提供による治療継続
  • 代理出産
  • 里子・養子縁組
  • パートナーと2人(子なし)

私が知る限り、上記のようなそれぞれの選択肢をフラットに考えられる場というのが今はないことも課題の一つだと思う。

ワークショップをやりたい(Just an Idea)

個別には説明会も、セミナーも、コミュニティもある。

けれど、不妊治療が長引いている患者にとって本当に必要なのは、自分達がどう進んでいくべきかという指標や、しっかり納得できるまで考えて選んだという確信ではないかと思う。

明確に決まってる人もいるだろうけれど、そうじゃない方が大半だと思うし、少なくとも複数の選択肢が残された我が家にとってはなかなか答えの出ない問題なのだ。

ということで、2020年の2月~3月を目標に準備して、人数が集まりそうであれば、このあたりのことを考えるためのワークショップを開催してみたいな~と。

自分がこのテーマに向きあって考える機会を作ることが目的なので、ここで結論が出るという保障はございません。でも、何か糸口が見つかったり、頭の中が整理されるといいなという思いです。

(めちゃくちゃ見切り発車で書いてますので、企画倒れしたらごめんなさいww)