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【本から学ぶ-vol.5】「対岸の家事」は「隣の火事」

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本日のテーマは「家事・育児」です。まぁ、育児に関しては子育てしたことない人が言っても説得力ないかもしれないけど、介護も同じことだし、いつ自分に降りかかる問題かわからないことだからね。

家事を再定義した「対岸の家事」

「対岸の火事」つまり、自分には関係がなく、なんの苦痛もないことを指すことばをモジったタイトル。まさに見て見ぬフリなのが現代の家事事情であり、言い得て妙なわけです。

昔から人の生活のベースにあり、対価が支払われないため「そんなものは仕事のうちに入らない」などと未だに言われる労働である「家事」を軸に物語は展開される。

  • 母を亡くしてから父親に当たり前のように家事をさせられて育ち周囲から時代の風潮に合わないと陰口を叩かれる専業主婦
  • 家事なんて片手間で出来ると主張しながらワンオペで二人の子を育てるワーママ
  • 完璧な家族計画とキャリア計画に基づき妻と交代で育休取得中の国家公務員

そして、それぞれの家族、様々な視点から描かれる「家事(育児)と仕事」。

対岸の家事

対岸の家事

 

今年連ドラになった「わたし、定時で帰ります」と同じ作者、こういう長時間労働や仕事と育児両立問題などの現代における大課題を取り扱った小説が多いですね。

あんまチープな感想を書いてもしょうがないので、もう本当、日本だけじゃなく世界中の多くの国の人が抱える問題だと思うけど、ほんっっっとうに大変さを理解しようともしない家事なめてる全国民に読んで欲しいし、読んでも分からない人にはマジで1週間でもいいから自分がやってみろやということだけお伝えしたい。

ちなみに、 この辺の背景のリアリティは以下の新書でも手に取るように分かる。

なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造 (PHP新書)

なぜ共働きも専業もしんどいのか 主婦がいないと回らない構造 (PHP新書)

 

育児ノイローゼになった友人は数知れず

実際、私の仲の良い友人にも、出産後のワンオペ状態で実家も頻繁には頼れない、周囲の人にも言えないという状況で育児ノイローゼ気味になった人は少なくない。

SOSに友人宅に食事を持って訪ねたこともあるし、友人同士で会う時は誰かが子どもに食事させママは何もしなくていいように心がけている。それでも、ご近所さんでもないただの友人ができることはその程度だ。

例えば「ちょっと半日だけ子どもを見ててほしいと思ってもできない」と言った友人が漏らしていたのは、

  • 夫は休日出勤までしてるし出張も多いし仕事優先
  • 仕事を休める時は保育園には預けないように言われる
  • 保育園の「ママ友」も仕事に行ってるし週末も忙しいだろうから頼めない
  • そもそも表面上の付き合いなことも多いし・・ 
  • どちらの実家も地方で遠いし親もまだ仕事しているため急にお願いするのは難しい

といったこと。文字通りの孤軍奮闘。

よくわかるし、そしてこのままだと自分が育児をするときも必ずや同じ状態になるだろうな・・。

「子育ては大変じゃなくて楽しいもの」

それで、欧州や東南アジアの友人にも「子育てって大変じゃない?」という話を振ってみるのだが、「何で?こんなに楽しいし、全然大変じゃないし、みんな育児がしたくて子どもを取り合ってるよ(笑)」と言われる。

最初から前提が噛み合わないのだ。これには面食らった。

そもそも私達が抱えている「子育ては大変だ」という常識が、通用しない国が多いのである。

例えばフィンランドではそもそも男性の育休取得率が高いし、病児保育用の休暇制度がある。スイスに住む友人は近所付き合いは当たり前なので隣の夫婦に子どもを見ておいてもらうのは当たり前だと言う、代わりに旅行で家を開ける時はペットの世話を引き受けるのだそうだ。フィリピンの友人は(それなりの上流階級ではあるが)家にナニーがいるのは一般的だと言う。

そして、どこの国でも誰もが「子どもがいると周りの人はみんな笑顔になるじゃない!」と口を揃える。

日本とは違いすぎる・・・むしろ根底が違いすぎて今すぐ参考にできるレベルには思えないほどだ。 

参考:「各国の子育て支援に関する取り組み」自治体国際化フォーラム2015年2月

日本にも変化の兆しはあるが・・

もちろん、日本でも育児をサポートするという概念のサービスは増えてきてはいるし、フローレンスのような病児保育に注力しているサービスもあるし、ベビーシッター補助を拡大(キッズラインの記事)など、活用そのものに対する制度改善も進んできてはいる。

しかしながら、実態としてこういったシッターサービスを利用することが当たり前とは言いがたい。もちろんナニーという存在など程遠いのが現実だろう。

それでも、変化も感じることはあって、以下のような希望の見える私の好きな記事もある。

社会で子育てするという言葉の虚無感

都合よく「子どもは社会で育てる」などという謳い文句を使うメディアやサービスはある。政治家もまぁ言葉だけ浮いたようなセリフとして利用している。

しかしながら、中身も具体性もないのが実態だ。とはいえ、子どもを家族だけで育てるという概念も元々の人類史上は存在しなかったはずであり、社会で育てるという考え方は決して実体のない理想論と言うわけではないだろう。

一方で、一部では「親の責任」なるものが忘れられ、教育現場に任せっ放しになっているモンスターペアレントの存在が社会的に問題視されていることも事実ではある。

おそらく、今の日本は何かを大きく間違っている。間違っていると気づいている人は多いのに、その暴走を止められずにいる。しかもそれは、何かをこうすれば一挙に解決できる、といった類の簡単な問題でもない。

これに関して私はこうすべきであるという明確な意見は持ち合わせていない。

ただ、年齢を問わずちゃんと頼れるご近所友人はいたらいいなと思うし、子どもがいなくても時々近所の子を預かってもいいなと思うし、AIやロボットが多くの仕事を代替できるようになったら高校生や大学生のバイトはシッターが主流になったらいいとも思っている。

そういう意味で興味深く見ているのは「拡張家族」という新概念。家族単位のシェアハウスみたいなものかもしれないけれど、こういう概念は今後100%必要になってくるはずだと感じている。

しかも、これは育児だけじゃなくて介護でも同じことなのだ。一番の問題は、この「数年間」の地獄のような日々が軽んじられ社会的な関心が継続しないことであって、こういった社会問題を気にかける入り口が小説ならそれもいい。

「家庭と仕事」についての、多様な形を受容できる、あるべき姿の形を考えてみたいなぁとも思う。

【本から学ぶ】シリーズ