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【本から学ぶ-vol.7】誰かの靴を履いてみること

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先日ブレイディみかこさんの「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んで、考えさせられたエンパシーとダイバーシティ。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

イギリスで中学にあたるSecondary Schoolに通う息子さんとの生活を軸に展開される読みやすいエッセイで、この息子くんがとてもクールで大人でハッとさせられる発言をするのが魅力だ。とても素敵な家族だ。

その中で、特に感銘を受けた章があったのでご紹介したい。

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー

 

誰かの靴を履いてみること

英国の公立学校教育では、キーステージ3(中学にあたる)からシティズンシップ・エデュケーションの導入が義務付けられているのだそう。

これは日本の社会化で学ぶ「公民」や「政治経済」ともちょっと違うようで、「政治や社会の問題を批判的に探求し、エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主張を行なうためのスキルと知識を生徒たちに授ける授業でなくてはならない」とされているそうだ。

いやー、すごくない?

私なら、大人になった今でもこの教育を受けて身に付けたいくらいだよ。

そして息子くんは先生が言っていたと説明してくれる。

「EU離脱や、テロリズムの問題や、世界中で起きているいろんな混乱を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事なんだって。つまり、他人の靴を履いてみること。これからは『エンパシーの時代』って、先生がホワイトボードにでっかく書いたから、これは試験に出るなってピンと来た」

「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」p76から引用

同情や同意を表すシンパシーと、他人の感情や経験を理解する能力であるエンパシーは似て非なるものだ。おそらく日本人が得意なのはシンパシーの方であって、エンパシーではない。

英語には「誰か(他人)の靴を履く」という表現が存在する。"put oneself in someone's shoes"という慣用句で、「他人の立場・状況になって考える」という意味だ。

「Don't judge a man until you've walked in his boots.」つまり「他人を評価(批判)するときは、その人の置かれている立場や状況に自分が置かれたことを考えてから評価を下すべきだ」ということわざもあるらしい。

エンパシーとは、その立場の人の靴を履けること。自分とは異なる理念や信念を持つ人の立場に立ってみて、その感情や経験を分かち合う能力のことだ。

このエンパシーこそが、まさに今の日本社会に、特に国を動かす立場にいるオジサンたちに、著しく欠如している能力なのではないかと思ったのである。

日本の多様性はホンモノか?

例えば1年前に実施された日本の「企業のダイバーシティ」実態調査 『人事のミカタ』― | エン・ジャパンでは500社以上への調査で以下のような結果が出ている。

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そもそも、胸を張って実施しているという企業はたった3割だ。しかも従業員1000名以上の大企業が多い。そんなのは日本のごくごく一部でしかない。

さらに、ダイバーシティ推進を実施していると回答した企業、その取り組みのほとんどは「人材採用」であり、そのほとんどが「女性」ときている。

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イマドキ、女性や外国人や障がい者を採用することがダイバーシティだなんて言う企業があんのかよ。それが先進的とされた時代なんてとっくに終わってますけど・・。

しかも、こういった多様な属性の雇用というのは、社会の多様性のほんの一部にすぎず、本質ではないと思う。申し訳ないが、日本でダイバーシティを高らかに謳うような企業は大抵こんなもんだ。

ことシリコンバレーを中心にした海外に目を向けてみると、多様性を表すダイバーシティというのはマイノリティもマジョリティも、互いを受け入れ合って、否定せずに受け入れる文化や精神の在り方のことを指している場合が多いように感じる。

さらに、その多様性を利用することで、既存のアイディアにイノベーションを起こすような未知の発想にたどり着くことを目指しているように見える。

意見を受け入れ、受容しあうのが多様性の本質であるはずなのに、いざその時になれば擁護もせずに言いたい放題。自分の意見をぶつけるだけで、他人の意見を発展させられる人も少ない。

こんなの、多様性のある社会とは言えないんじゃないの?

口だけ多様性の時代をどう変えるか

多様性のある企業や社会の鍵は「あわゆることが本人の意思に基づいて決められる、選択肢が用意されている」ということだと思う。

今、マイノリティにはマジョリティが持ち得る選択肢がないことが多い。それをひとつずつあたりまえにしていくしかない。

マイノリティが望むことの多くは、マジョリティの選択肢を狭めるものではないのに、社会はそれを認めようとしないのだ。これを変えていかないことには、多様な社会というのは口先だけの戯言でしかない。

 

ラグビーW杯は私の予想を上回る盛り上がりを見せた。

ラグビー代表の素晴らしさは、何と言っても「国籍」に縛られない形の多様なアイデンティティを持つ選手達の代表チームが、国の代表としてONE TEAMのあり方を示してくれたことだと思う。

これからの国の形として、きっと参考になるはずだ。

世間は決まり文句のように「多様性やダイバーシティ」というワードを気軽に使う。でも、実態はどうだろう。

私達は、口で言うほど多様性という概念に慣れていないし、あることではマイノリティでもあることではマジョリティだったりすることをすぐに忘れてしまう。

多様性なんてまだ全然わかっていないことを自覚して、優しい社会とは何なのかを考えて続けていきたい。

そして自分を含む不妊治療が必要なマイノリティが自然妊娠できるマジョリティと同じ条件で人生の選択ができるように制度を変えていく働きかけをし、その他たくさんのマイノリティ達の活動に賛同し寄り添っていきたい。

【本から学ぶ】シリーズ